目次
ダイナミックマイクでは聞こえなかった時計や空調の音が、コンデンサーマイクに替えると録音へ混ざり込む。
マイクが遠くまで「届きすぎる」のはなぜか。
遠くのかすかな音をどこまで拾えるかは、自己雑音とどう関係するのか。
この研究は、マイクの届く範囲が単体の性能ではなく、音のレベルと信号チェーン全体のノイズフロアの兼ね合いで決まることを示しました。
マイクの届く距離は、なぜ曖昧だったのか
録音の現場では、ダイナミックマイクでは聞こえなかった扇風機や時計、空調の音を、コンデンサーマイクが拾ってしまうという報告がしばしば上がります。
放送スタジオでも、コンデンサーマイクは部屋の奥まで届きすぎるという理由で、第一の選択肢にならないことがあります。
Breitlow と Haul(2014)は、この経験則の背景にある「マイクのリーチ」という概念を、マイクの種類と指向性をそろえた測定で捉え直しました。
ここで、この記事の要になる用語を整理します。
リーチ(microphone reach)とは、マイクと信号チェーンが、ノイズフロアを上回る形で遠くの音や小さな音を拾える能力のことです。
この論文の中心的な主張は、リーチがマイク単体の性質ではなく、信号のレベルとノイズフロアの相互作用で決まる、という点にあります。
ノイズフロアとは、録音に残る雑音のレベルのことで、小さな音がどこまで聞こえるかを制限します。
自己雑音(self-noise)とは、マイクや信号チェーン自体が生み出す雑音で、dB(A)やCCIRによる等価雑音として測られます。
マスキング効果とは、ノイズフロアが小さな信号を聞こえにくく、あるいは聞こえなくしてしまう過程を指します。
指向性(polar pattern)とは、マイクの方向ごとの感度特性のことで、カーディオイド、スーパーカーディオイド、無指向性、双指向性といった種類があります(指向性の使い分けは無指向性と単一指向性の使い分け 録音で何が変わるのかでも扱っています)。
マイクの届く範囲を、どうやって測ったのか
測定は無響室(壁面の反射を抑えた測定室)で行われました。
再現性のある条件と、反射の乱れのない音場を得るためです。
音源には台所の時計を選びました。
背景雑音からはっきり区別でき、なおかつマイクの種類ごとの差が見える適度なレベルだったからです。
時計は部屋の隅に置き、マイクから最大5 mまで距離を取れるようにしました。
マイクは常に音源の方向へ向けています。
比較の軸は二つです。
一つは、同じ指向性のままマイクの方式(ダイナミック、アナログ・コンデンサー、デジタル・コンデンサー)を変える比較。
もう一つは、指向性を切り替えられる大口径コンデンサーマイクを使い、同じマイクで指向性だけを変える比較です。
すべてのマイクについて、周波数特性と等価自己雑音を測りました。
信号の流れも揃えています。
アナログマイクは内蔵プリアンプ付きのオーディオインターフェースへ、デジタルマイクはS/PDIF入力へ接続しました。
プリアンプのレベルはアナログマイクすべてで同じにし、最も感度(音圧に対する出力レベル)の高いマイクが最も近い位置に置かれたときでも余裕が残るように設定しました。
録音は24ビット、44.1 kHzで行い、基準レベルは1 kHz、80 dB SPLのトーンで決めました。
ノイズの下限を測るため、マイクを遮音箱へ入れました。
さらにプリアンプ由来の雑音の割合を測るため、マイクの代わりに50 Ohmの入力インピーダンスをプリアンプ入力へ接続する測定もしています。
これは「マイクが拾う音」と「機材が生む音」を切り分けるための手続きです。
解析では、時間に対する信号レベルと、周波数に対する信号レベル(FFTスペクトル、フーリエ解析による周波数領域の表現)を調べました。
時間方向のレベルは、決められた時間窓の中でピークを保持する準ピーク(quasi-peak)アルゴリズムで求め、ピーク値と、その下に残るノイズフロアを取り出しました。
すべての曲線は、25 cmの位置でのレベルを基準に正規化しています。
届く距離を決めていたのは何だったのか
まず、すべてのマイクで、信号レベルは距離とともに下がります。
もし環境雑音も自己雑音も無ければ、この減衰は距離が増すほど強く効く物理的な規則に従うはずです。
距離が離れるほど、時計の刻む音はノイズフロアへ近づいていきます。
ダイナミックマイクでは、距離が大きくなるとノイズフロアが元の信号をほぼ隠してしまいます。
これがマスキングの実際の姿です。
自己雑音を見ると、ダイナミックマイクはdB(A)で19 dBから25 dB、コンデンサーマイクは9 dBから15 dBで、ダイナミックのほうが明らかに高くなっています。
この自己雑音の低さこそが、コンデンサーマイクが遠くの小さな音まで拾ってしまう理由です。
アナログ・コンデンサーとデジタル・コンデンサーの間に大きな差はありませんでしたが、すべての測定系列で、デジタルマイクのノイズフロアはアナログマイクより2 dB低くなりました。
デジタル・コンデンサーのスペクトルでは、時計の音は特定の周波数帯に集中しています。
低い周波数ではノイズフロアが支配的で、距離に依存しません。
距離が大きくなると、時計のスペクトルはノイズフロアの中へ消えていきます。
ダイナミックマイクでは、この「消える」様子がはっきりしています。
スペクトルには自己雑音の床に加えて、磁気的な漂遊磁界に由来する、電源周波数の倍数の位置に複数のピークが現れました。
これは、小さな音を録るうえで、うまく設計された補償コイル(磁気的な干渉を減らす部品)が重要だということを示しています。
指向性を切り替えられる大口径コンデンサーマイクでは、指向性の違いによるリーチの有意な差は見られませんでした。
双指向性だけがずれていますが、これはその指向性の自己雑音が高いことが原因と考えられます。
デジタルマイクはアナログ・コンデンサーに対してわずかな優位を示しました。
AD変換が整合しているためノイズフロアがさらに低く、一方でアナログマイクはプリアンプ由来の雑音が加わるためです。
最後に、環境のノイズフロアが信号チェーンの自己雑音より高い場合は、環境雑音が制限要因になります。
マスキングを利用して、適量の雑音を加えることでリーチを制限したり調節したりもできます。
この結論は、どこまで通用するのか
著者自身が留保している点があります。
「指向性はリーチに有意な影響を与えない」という結果は、あくまで無響室での測定に限られます。
実際の環境では状況はまったく変わり、指向性はあらゆる方向から来る環境雑音を抑えるのに役立つからです。
また、環境のノイズフロアが信号チェーンの自己雑音より高い状況、つまり環境雑音が支配的になる状況は、この研究の対象外だとされています。
したがって、この結論がそのまま当てはまるのは、自己雑音が支配的になる、環境雑音の小さい測定条件に近い場面です。
この研究を、どう位置づければよいのか
「コンデンサーマイクは遠くまで届きすぎる」という経験則は、録音の現場で広く語られてきました。
この研究の位置づけは、その曖昧な感覚を「信号レベルとノイズフロアの関係」という測定可能な枠組みへ置き直した点にあります。
リーチはマイク単体の性質ではなく、マイクからAD変換までの信号チェーン全体が決めるものだという整理は、この分野で共有できる出発点になります。
もう一つの価値は方法にあります。
自己雑音を測るだけでなく、プリアンプ由来の雑音を切り分け、環境雑音と信号チェーンの自己雑音を区別して扱ったことです。
この種の測定は、その現場でどの要素が制限要因になっているかを整理するための枠組みを提供します。
参考資料
原典の主張は、How far do microphones reach? A comparison between dynamic and analog / digital condenser microphones をご参照ください。

