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いびきは最大 90 dB に達し、同じ部屋で眠る人に負担を強いています。
耳栓や枕でふさいでも低域の成分には対処できません。
そこで音に音を重ねて打ち消すアクティブノイズコントロール(ANC)は、いびきを現実的に低減できるのか?
Cecchi ら(2018年)の研究を手がかりに、その仕組みと成果を考察していきます。
いびきの音はどのような特徴を持ち、なぜ受動的な対策では不十分なのか
いびきは音声信号と似た音響的特徴を持ち、その基本周波数は 100 Hz から 300 Hz の範囲に集中しています。
最大音圧は 90 dB に達する場合があり、これは日常の会話音より大きなレベルであります。
同じ部屋で眠る人にとって、いびきは生産性の低下や注意力の散漫、日中の安全な運転への支障といった実害を伴うわけで、パートナーのいびきに悩まされている方も多いのではないでしょうか。
耳栓や姿勢を調整する枕といった受動的な対策にはやはり限界がありますよね。
一方で耳栓は装着感の不快さがあり、低周波数成分に対しては遮音性能が十分でないのが現実です。
可動式の枕も、いびきの根本的な音響エネルギーを減らすものではない。
ここで注目されるのが、アクティブノイズコントロール(ANC)です。
ANC とは、低減したい一次音に対して逆位相の二次音(アンチノイズ)を生成し、音波の干渉によって打ち消す技術。
とくに、いびきの主成分が 100 Hz から 300 Hz の低域にあることは、ANC にとって有利な条件といえます。
ANC は低周波数ほど効果を発揮しやすいためです。
この研究で採用されているのは、フィードフォワード ANC と呼ばれる構成である。
リファレンスマイクで一次音(いびき)を事前に捉え、エラーマイクで打ち消し後の残留音を監視しながら、適応的に二次音を制御します。
その中核となるアルゴリズムがフィルタード X LMS(FX-LMS)です。
これは、二次音源(スピーカー)からエラーマイクまでの音響的・電気的な伝達特性(二次経路)をあらかじめ推定し、その推定を通してリファレンス信号をフィルタしたうえで、誤差信号を最小化するように適応フィルタを更新する手法です。
DSP と専用ヘッドボードを使った ANC
Cecchi らの研究は、ANC を実時間で動作させるための DSP 実装と、それを組み込むヘッドボードの設計を柱としています。
アルゴリズムにはブロック FX-LMS が採用されました。
通常の FX-LMS がサンプルごとにフィルタ係数を更新するのに対し、ブロック LMS は複数サンプルをまとめたブロック単位で更新を行います。
いびきのように低域に集中する信号に対して高い次数の適応フィルタを必要とする場合、サンプル毎の更新では計算負荷が大きくなるためです。
ブロック単位にすることで、オーバーラップアンドセーブ(OLS)法を用いた周波数領域での効率的な FIR フィルタリングと組み合わせ、計算コストを抑えています。
さらに、ANC 処理の前段でダウンサンプリング係数 8 のダウンサンプリングを適用。
いびきの主要エネルギーが低域にあることを利用し、処理すべき帯域を絞ることで計算負荷をいっそう低減する狙いです。
このダウンサンプリングにより、ナイキスト周波数は 3 kHz となる。
なお、ダウンサンプリングに先立ってアンチエイリアシングフィルタを適用する必要があるが、ここでは Parks-McClellan アルゴリズムで設計した最低 40 次のフィルタが用いられています。
このフィルタの遅延は 20 サンプル(0.4 ms)に抑えられており、打ち消し帯域をできるだけ広く保つための工夫です。
ハードウェアには、ADSP-21489 SHARC DSP ボードとマイクロフォンインターフェースモジュールが使われました。
二次音源とリファレンスマイクを統合するプラットフォームとして、2 基の 8 インチウーファーと 4 本の無指向性マイクロフォンを備えたヘッドボードが設計。
マイクロフォンはレールに沿って位置を調整できる構造で、寝室での使用を想定した試作であります。
実験は半無響室で行われた。
半無響室とは、床面以外の壁面を吸音処理した測定用の部屋であり、反射の影響を制御した条件下で音響性能を評価できる。
録音されたいびき信号を GENELEC 製ラウドスピーカーから再生し、これをいびきをかく被験者に見立てています。
ANC による低減量は、エラーマイクロフォン位置での平均二乗誤差(MSE)によって評価されました。
実時間 ANC は、いびきをどの程度低減できたのか
2 種類の録音いびき信号を用いた実験の結果、ANC システムは MSE で 8 dB から 10 dB の騒音低減を達成。
以下に主要な仕様と結果。
この結果は、DSP ボードとヘッドボード試作機を用いた実時間処理が、半無響室環境において実際に動作したことを示している。
この研究の結果は、どこまでの範囲で受け取るべきか
著者らは論文内で明示的な限界を挙げていません。
しかし、研究の条件から自然に読み取れる適用範囲は明確です。
第一に、すべての実験は半無響室で行われており、実際の寝室のような残響や家具による反射、外部騒音のある環境は対象とされていない。
第二に、いびき音は録音された信号をラウドスピーカーから再生したものであり、実際の就寝中の人体から放射される音とは音源の空間的広がりや時間的な変動パターンが異なる可能性がある。
第三に、ヘッドボードのレール上でマイクロフォン位置を調整できる設計でありながら、最適なマイクロフォン位置の検証は行われていない。
第四に、被験者を用いた主観的な聴取テストは実施されておらず、低減効果が心理的にどのように受け取られるかは未検証である。
したがって、この研究の成果は「半無響室において、DSP 実装されたブロック FX-LMS 方式のフィードフォワード ANC が、スピーカー再生されたいびき信号に対して 8 dB から 10 dB の MSE 低減を示した」という範囲で受け取るのが妥当です。
この研究をどう受け止めるか
ANC はいびき対策として長く関心を集めてきたが、実時間処理と実際の寝室環境への組み込みの両方を扱った研究は多くない。
Cecchi らの研究は、DSP への実装とヘッドボードという具体的な形状への統合を同時に示した点で、この分野における実装面の検討を一歩進めたといえる。
他方で、8 dB から 10 dB という低減量は、ANC 技術として突出した値ではない。
また、半無響室から実際の寝室への展開には、残響や頭部の位置変動といった要素が加わる。
この研究の価値は、ブロック FX-LMS とダウンサンプリングの組み合わせによる計算効率の改善と、ヘッドボードという具体的な製品形態の提案を示したことにある。
寝室環境での実証が次の段階として期待されています。
参考資料
- Stefania Cecchi, Alessandro Terenzi, Paolo Peretti, Ferruccio Bettarelli, "Real Time Implementation of an Active Noise Control for Snoring Reduction," AES Convention 144, Convention Paper 9931, 2018.
原典の主張は、Real Time Implementation of an Active Noise Control for Snoring Reduction をご参照ください。

