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遠くの音を、周囲の雑音に埋もれさせずに収録したい。
指向性の強いマイクを使えばよいが、問題がある。
多くの指向性マイクは、低い周波数では指向性が弱まり、高い周波数ではビームが鋭くなりすぎる。
全帯域で安定した指向性を得るにはどうすればよいのか。
今日は12本のマイクを並べてデジタル信号処理で合成する手法を検討した1999年の研究(Grenier, Prado, Liebenguth)を読んでいきましょう。
周波数によって指向性が変わると、どのような不都合があるのか
マイクの指向性は、目的の音源だけを拾い、それ以外の方向からの音を抑えるための重要な特性である。
しかし、従来から使われてきた遅延加算ビームフォーマには原理的な制約があった。
各センサの信号に遅延をかけて足し合わせるこの方式では、ビームの幅が周波数に依存して変化する。
低域ではビームが広がって周囲の音を拾いやすくなり、高域では逆にビームが狭くなりすぎる。
広い周波数帯域にわたって一貫した収音ができないというわけである。
ここで鍵になるのが、いくつかの専門的な概念である。
ビームフォーミング(beamforming)は、複数のセンサからの信号にそれぞれ異なるフィルタを適用し、それらを合成して一つの出力を得るデジタル信号処理技術である。
各チャンネルの処理を適切に設計することで、特定の方向に感度を集中させ、他の方向を抑圧できる。
指向性パターン(directivity pattern)は、マイクの感度が音の入射角によってどのように変化するかを、角度と周波数の関数として表したものである。
角度を横軸に、感度を半径方向にとって図示されることが多い。
この研究が目指したのは、コンスタントビーム幅(constant beam-width)と呼ばれる特性である。
ビームフォーマの主ローブ、すなわち感度が最も高い角度範囲の幅が、広い周波数範囲にわたって変化しないことを意味する。
これが実現できれば、低音から高音まで一貫した指向性で収音できる。
エンドファイアアレイ(end-fire array)は、複数のマイクを直線状に並べ、その軸方向に主ビームを向ける配置方式である。
軸と直角の方向にビームを向けるブロードサイドアレイと対になる概念で、細長い形状にできる利点がある。
ビーム幅を周波数によらず一定にするには、どのような設計が必要か
Grenierらは、12本のエレクトレットマイクを直線状に並べたエンドファイアアレイを設計した。
マイクの配置間隔は対数的とした。
一定間隔の配置に比べて、マイク本数と一定のビーム幅の間の妥協点として、シミュレーションと先行研究に基づいて選ばれた方式である。
各マイクの信号は、AESの推奨に従って48 kHzでサンプリングされた。
チャンネルごとにデジタルFIRフィルタ(有限インパルス応答フィルタ)を適用し、フィルタ出力をすべて加算して1本のデジタル音声信号にまとめている。
FIRフィルタは、各センサに周波数依存の重み付けを与える役割を担う。
このフィルタの係数を適切に設計することで、周波数が変わってもビーム幅が変わらないという目標を達成しようとしたのである。
性能の評価は、次の3つの観点から行われた。
第一に、周波数応答である。
大型の無響室において、アレイ全体としての周波数特性が測定された。
第二に、指向性パターンである。
250 Hz以上の複数の周波数で、音の入射角に対する感度の変化が測定された。
コンスタントビーム幅が実現できているかどうかを直接確認するための測定である。
第三に、実空間での評価として、大型のホールで音源から10 mの距離における収音が試みられた。
ここでは直接音と拡散音の比(direct-to-diffuse ratio)が定性的に評価された。
直接音と拡散音の比とは、音源から直接届く音のエネルギーと、部屋の反射によってさまざまな方向から到来する拡散音のエネルギーの比率であり、収音の明瞭度に直結する指標である。
また、直接音と拡散音のレベルが等しくなる音源からの距離を臨界距離(critical distance)と呼ぶ。
これより遠い距離では拡散音が支配的になり、収音の明瞭さが損なわれる。
なお、この研究では別バージョンとして36本のマイクを用いた試作も行われているが、主な報告は12本のバージョンについてである。
12本のエレクトレットマイクとFIRフィルタは、どこまでの性能を示したか
測定の結果、以下の性能が確認された。
周波数応答は通過帯域で±1 dB以内と平坦で、低域は70 Hz付近をカットオフとし、高域は急峻に減衰する特性である。
指向性パターンについては、250 Hz、500 Hzを含む複数の測定点で形状がよく一致し、コンスタントビーム幅が実現されていることが示された。
後方ローブは非常に低く抑えられており、250 Hz以下では前方との差が20 dB以上、500 Hz以上では30 dB以上に達する。
ホールでの評価では、10 mの距離においても音源の指向性が明瞭に知覚できた。
これは臨界距離が大幅に延伸したことを示唆しており、通常のマイクでは拡散音に埋もれてしまう距離でも直接音を捉えられる可能性を示している。
ただし、この評価は定性的なものであり、数値による裏付けは行われていない。
この研究が明らかにできなかったことは何か
Grenierらは、自ら次の2点を今後の課題として挙げている。
第一に、IIRフィルタ(無限インパルス応答フィルタ)の使用可能性は検討されなかった。
FIRフィルタではなくIIRフィルタを用いることで、より少ない演算量で同等の特性が得られる可能性があるが、ビームフォーマ設計におけるIIRフィルタの最適化は未解決の問題であると著者らは述べている。
第二に、直接音と拡散音の比の定量的な評価は行われていない。
先述のとおり、ホールでの実験は定性的な観察にとどまっており、数値としての改善量は示されていない。
また、著者らが限界として明示していないものの、この研究の結果が直接適用できる範囲には自ずと条件がある。
測定は大型無響室と特定のホールで行われており、アレイの構成は対数間隔の直線配置に限られている。
音源は遠距離場を仮定しており、近接音源での振る舞いは検討の対象外である。
指向性パターンの測定は250 Hz以上で行われており、それ以下の周波数における指向性の詳細は報告されていない。
この研究をどう位置づけるか
この研究は、デジタル信号処理によるマイクロホンアレイの設計において、コンスタントビーム幅という明確な設計目標を掲げ、それを実際の試作機で検証した初期の事例の一つである。
とくに、対数間隔配置とFIRフィルタの組み合わせによって、全帯域で一貫した指向性と低い後方ローブを両立できることを実測で示した点に価値がある。
一方で、この研究が書かれた時点では、ビームフォーミングを製品化するうえで必要となる演算量や消費電力、コストといった工学的な課題には踏み込まれていない。
また、IIRフィルタの可能性を未検討としていることからも分かるように、フィルタ設計の理論的な最適化という点では、なお探索の余地を残す段階にあった。
本論文は、ビームフォーミングの原理的可能性を示した基礎的な研究として受け止めるのが妥当である。
参考資料
"A Signal Processing Digital Microphone" Yves Grenier, Jacques Prado, Daniel Liebenguth, 1999, AES Convention 106, preprint 4881.
原典の主張は、A Signal Processing Digital Microphone をご参照ください。

