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マイクで拾った音は、そのあとの経路でどれだけ損なわれるのか。
録音をする人なら、この疑いを一度は抱いたことがあるはずです。
アナログの信号経路では、雑音が加わり、ピークに備えて余裕を削るたびに、実質のS/Nが落ちていきます。
本記事が答える問いは、デジタルマイクとは何か、マイクの内部に変換器を持ちデジタル信号のまま出力するマイクはアナログのマイクと比べて何が違うのか、登場から10年を経て使える機材はどこまで揃い、現場でどんな利点を実感できるのか、という点です。
結論から示すと、AES42デジタルマイクは変換器をカプセルの近くに置くことで、アナログ経路で生じるおよそ25dBのS/N低下と音の色付けを避け、ダイナミックレンジを守れます。
アナログのマイクは何を失っていたのか
Willett(2011)は、AES42という規格のデジタルマイクを概観する報告をまとめました。
背景にあるのは、アナログのマイク経路が音を少しずつ損なっていくという問題です。
マイクからレコーダーまでのアナログ経路には、二つの損失が潜みます。
一つは経路で加わる雑音と干渉です。
もう一つは余裕の確保です。
レベルを上げすぎるとクリップするため、あらかじめ余裕を残す必要があり、そのぶん実質のS/N(信号対雑音比)が下がります。
マイク自体のダイナミックレンジ(扱える最小音から最大音までの幅)を130dBと仮定したとき、こうした損失で信号対雑音比はおよそ25dB落ちうると著者は説明します。
この問題への答えとして登場したのがAES42です。
AES42とは、デジタルマイクのためのAES規格で、AES3という信号方式に双方向のデータと遠隔制御を載せて動く規格です。
給電は、[ファンタム電源とは。
48Vを怖がらなくていい理由と、本当の注意点](https://kuon-rnd.com/journal/phantom-power-guide)で扱うアナログマイクのものとは異なる、10V・最大250mAのデジタルマイク専用給電です。
心臓部となるのがADCです。
ADCとは、アナログの信号をデジタルに変換する回路です。
AES42マイクでは、このADCを振動板のできるだけ近くに置きます。
変換をマイクの中で済ませれば、以降の経路はデジタル信号のまま運ばれ、雑音や音の色付けが加わりにくくなります。
デジタルマイクはどう動き、どう確かめられたのか
著者は、すでに文献で語り尽くされた技術の細部を繰り返すのではなく、実用の見地から全体像を描く方針を取ります。
対象は、開発の経緯、市販の機材、周辺機器、利点、そして自身の録音経験です。
そのために、アナログのマイク経路とAES42のデジタル経路を、雑音・余裕・干渉・ダイナミックレンジという四つの観点で比べます。
AES42の中心には、24bitのAES3というデジタル音声ストリームがあります。
これに双方向のマイクデータと遠隔制御を載せ、10V・最大250mAの電源で駆動します。
動作方式は二つです。
Mode-1とは、各マイクが内蔵のクロックで自走する方式です。
複数本をまとめるには、同期していないデジタル音声を再クロックする装置(サンプルレート変換器)が要ります。
Mode-2とは、受信側の機器からクロックを供給される方式です。
サンプルレート変換器が不要になり、マイク同士の位相も保たれます。
複数のMode-2マイクの位相は、ほぼ0°の関係に揃います。
遠隔制御で扱える項目も細かく定められています。
AES42-2010では、ユーザー設定の保存と再現、命令やファームウェア更新をより速く送る任意の方式、任意の定期的送信制御が加わりました。
著者は机上の比較にとどまらず、実際の録音でもAES42を試しています。
NeumannのKM-DとSennheiserのMZD 8000をピアノのリサイタル収録に使い、マイクをピアノから2mの位置に置きました。
レコーダーはFostexのFR-2で、サンプリング周波数は88.2kHz、モニター用にRCSソフトウェアで+25dBのデジタルゲインをかけています。
このような収録は15か月にわたり重ねられました。
ケーブルは標準のバランスXLRなら100m、適切なAESケーブルなら200mまで届くと記します。
別の現場では、アビーロードのLSOセッションで30本を超えるAES42マイクが使われました。
デジタルマイクは何をもたらしたのか
アナログ経路との比較から浮かぶ利点は明快です。
カプセルに合わせて設計されたADCを内蔵し、外部のマイクプリアンプを持たないAES42マイクは、ダイナミックレンジを丸ごと保ち、アナログ特有の色付けを避けられます。
従来のアナログ経路では、加わる雑音とクリップ対策の余裕のぶん、信号対雑音比がおよそ25dB落ちます。
著者が実際に収録した現場では、この差がどう現れたか。
ダイナミックレンジの改善は、低レベルのアナログヒスが聞こえなくなった形で実感できました。
内蔵のピークリミッターに頼る必要もありませんでした。
ただし、MZD 8000をステレオで使うと、モノに比べて3dBの雑音ペナルティがあります。
マイク内部でのデジタル信号処理も進みました。
DSPとは、マイクの中で行うデジタル信号処理のことです。
SchoepsのSuperCMITは、このDSPで指向性を変える例として示されています。
規格の広がりを示すのが市販機材の数です。
AES42マイクは、当初NeumannのD-01だけでしたが、その後、複数のメーカーへと広がりました。
この報告が届く範囲はどこまでか
Willett(2011)は、この報告の届く範囲をいくつか自ら明かしています。
第一に、技術の細部には踏み込みません。
すでに文献で語られているためで、AES42マイク設計の詳細な技術分析はこの報告の対象外です。
第二に、空気の動きを直接デジタル値に変換する、文字どおりのデジタルマイクはまだ存在しません。
この報告が扱うのも、内部に変換器を持つマイクです。
第三に、著者自身の環境による制約もあります。
著者のNagra VIを中心としたシステムはサンプルレート変換器を持たず、Mode-1のAES42マイクを使えません。
MZD 8000はステレオで使うとモノに比べて3dBの雑音ペナルティがあります。
SuperCMITの強い処理設定は後方のローブをほぼ消しますが、代わりに若干の人工的な音が入るため、注意が必要です。
当時SennheiserはMZD 8000用の双指向やサブカーディオイドのヘッドをまだ出しておらず、公式のYケーブルも著者のステレオ用途には合いませんでした。
この研究をどう受け止めるか
この報告は、規格の技術仕様そのものを深掘りするのではなく、登場から10年を経たAES42デジタルマイクが録音の実務に何を意味するのかを、開発の経緯・市販機材・自身の経験という三つの軸で整理した概観です。
学術的な新規性を競うよりも、すでに確立した規格を実務者の視点で一覧し、アナログ経路との違いをS/Nという一つの尺度で捉え直した点に、この報告の役割があります。
デジタルマイクは、音をアナログのまま運ぶ長い経路の終端ではなく、音源に近い場所でデジタル化するという発想に立っています。
変換の位置をどこに置くかという録音の根本的な問いへの、一つの答えを示すものです。
その一方で、空気の動きを直接デジタル化するマイクはまだ存在しないという留保が、この分野の現在地を表しています。
報告が描くのは、規格と市販機材が揃い始めた時点での、デジタルマイクの成熟の一断面です。
参考資料
原典の主張は、Digital Microphones – What’s it all about? をご参照ください。

