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離れた場所から声で機械を操作できれば、身につける機器は要りません。
けれど、マイクから遠ざかるほど声は部屋の残響に埋もれ、認識は下がります。
どれだけ下がるのか、補正で戻せるのか。
この研究は、話者とマイクの距離を変えて認識の精度を測り、距離に合わせて学習したモデルが誤りを大きく減らすことを示しました。
音声認識はなぜ距離で劣化するのか
音声認識(Automatic Speech Recognition、ASR)とは、話された言葉を機械が文字として認識する技術です。
ここでは、統計的な音声モデルと単語の並びのモデルを組み合わせて声を認識しています。
音声認識は、マイクに近いきれいな声なら高い精度を出します。
ところが、話者とマイクの距離が広がるほど、また音に歪みが加わるほど、精度は急激に落ちます。
離れたマイクの音を損なう主因は、部屋の残響です。
残響とは、声が壁や天井で反射して時間をずらしながらマイクに届く現象です。
この反射の応答を時間の関数として表したものを、ルームインパルス応答と呼びます。
遠いマイクの信号は、もとの声にこの応答が畳み込まれたものとしてモデル化されます。
直接音の直後に届く反射は初期残響で、人にとっては声を大きく、聴き取りやすくする面もありますが、声の周波数特性を歪めて質を下げます。
遅れて届く反射は後期残響で、聴き取りそのものを難しくします。
やっかいなのは、残響が声そのものと強く相関し、時間とともに性質が変わる非定常なものである点です。
そのため残響だけをきれいに取り除くのは容易ではありません。
残響が機械の音の処理を難しくする問題は、音声認識に限った話ではありません(ブラインド音源分離は残響でどれだけ劣化するか)。
離れた場所から声で機械を操作したいという要求に対して、距離と残響が認識にどれだけ影響するかを測ることが、この研究の出発点です。
距離の影響をどう測ったのか
Bratoszewski ら(2015)の実験では、B&K製の計測用マイクロホンを8本、話者から0.5 m、1.0 m、1.5 mの距離に置きました。
場所は、通常のオフィスのような部屋です。
音声には、より大きな音声・映像コーパスから選んだ一部を使いました。
話者は英語を母語とする16人で、使う単語は184語の辞書に収められています。
訓練用とテスト用で命令の系列を分け、人工的なスピーカー雑音は加えていません。
認識のための音の特徴には、メル周波数ケプストラム係数(MFCC)を使いました。
MFCCとは、人の聴覚の感度を模して音の周波数特性をまとめた特徴量です。
ここでは25 msの窓で音を切り出し、10 msごとにずらしながら、13チャネルの係数を求めました。
これに、時間方向の変化(デルタ)と、そのさらに時間方向の変化(デルタデルタ)を加え、合計39個の特徴量にしています。
認識モデルには、隠れマルコフモデル(HMM、音の並びを確率で表す音響モデル)を用いました。
当時の標準的な音声認識の手法として選ばれています。
前後の音素(言葉を区別する最小の音の単位)を考慮するトライフォン、左から右へ進むバキス型という構造で、5状態のものを使いました。
モデルの学習と評価には、音声認識用のツールキットであるHTK(Hidden Markov Toolkit)を使い、単語の並び方は、単語を独立に扱うユニグラム言語モデルで表しています。
条件は、学習に使った距離とテストに使った距離の組み合わせです。
学習とテストを0.5 m、1.0 m、1.5 mの間で組み替え、それぞれについて、ケプストラム平均正規化(CMN)を加える場合と加えない場合を試しました。
CMNとは、各チャネルのケプストラム係数からその平均を差し引く処理です。
マイクや伝送路の影響を打ち消すためによく使われます。
ここでは、部屋の音響が声に与える影響を和らげられるかを確かめるために適用しました。
評価には3664語のテスト用音声を使いました。
距離が開くと認識はどれだけ落ちるのか
認識の良し悪しは、単語誤り率(Word Error Rate、WER)で測りました。
単語誤り率とは、認識結果の単語のうち、置き換え・欠落・挿入の誤りが占める割合で、値が小さいほど認識が良いことを表します。
テストには3664語を使いました。
マイクまでの距離が広がるほど、認識は落ちます。
0.5 mの音声で学習したモデルを、0.5 m、1.0 m、1.5 mでテストすると、WERは順に上がっていきます(下の表)。
CMNの有無にかかわらず、この傾向は同じです。
学習距離とテスト距離が同じ専用モデルを使うと、精度はさらに上がります。
0.5 mで学習したモデルを1.0 mでテストした場合と比べ、1.0 mで学習したモデルを1.0 mでテストすると、WERはCMNありで2.46ポイント、CMNなしで5.58ポイント改善しました。
1.5 mでは、CMNありで6.71ポイント、CMNなしで10.37ポイントの改善です。
1.5 mでのこの改善は、CMNありで298語、CMNなしで453語の単語を正しく認識できるようになったことに相当します。
スペクトログラム(音の時間・周波数を並べた表示)を比べると、最も近いマイクは中音域から高音域まで、また発音時の明瞭な調音の音を最も多く捉えていました。
マイクが遠いほど、実効的な信号対雑音比(SN比)は小さくなり、時間・周波数上の音のまとまりがにじみ始めます。
一方、CMNの効果ははっきりしませんでした。
CMNを加えるとWERが下がる場合と上がる場合が混在し、一貫した改善は見られなかったのです。
ケプストラム平均正規化の効果は定かと言えるのか
著者自身が述べているように、得られた結果からは、CMNが有益かどうかをはっきりと判定できません。
CMNを適用するとWERが改善する場合と悪化する場合の両方があったからです。
これが、この研究が明示した限界です。
研究の条件から適用範囲を読み取ると、対象は英語を母語とする話者の音声、184語の限られた辞書、オフィスのような部屋という、制御された環境です。
人工的なスピーカー雑音は加えていません。
ここでの結果は、そうした条件のもとでの話者とマイクの距離の影響を表しています。
著者は今後、ケプストラム平均の補正が遠隔音声認識で役立つかを、さらに詳しく調べる予定だと述べています。
この研究をどう位置づけるか
音声認識は、マイクに近いきれいな音声では高い精度を出せる一方、距離が広がって残響が加わると急激に精度が落ちる、というのはこの分野で広く共有されている理解です。
この研究は、その落ち込みを、距離と補正の有無を揃えた条件で数値として示しました。
テストと同じ距離で学習したモデルを使えば誤りが減るという結果は、音響モデルを実際の使用条件に合わせることの重要性を、数値で裏づけています。
補正の手法として広く使われるCMNが、部屋の音響に対しては一貫した効果を示さなかった点も、この研究の位置づけを考えるうえで重要です。
距離や補正の組み合わせによって結果が変わることを、制御された条件で数値として示したことで、この研究は、遠隔音声認識の精度を左右する要因を確かめるための土台を提供しています。
参考資料
原典の主張は、Examining Influence of Distance to Microphone on Accuracy of Speech Recognition をご参照ください。

