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コンサートホールの響きを録って、別の音源に畳み込む。
そんな空間再現の技術が身近になるなかで、一つの問いが浮かびます。
マイクアレイを1本だけ置くのではなく、2本のアレイを左右に間隔をあけて配置したら、広がり感や包まれる感覚は変わるのか。
この問いに、聴感実験で答えた研究があります。
空間印象の収録に、1本のアレイでは足りないのか
コンサートホールの響きを録音するとき、マイクを1本だけ立てるか、間隔をあけて2本立てるかで、録れる空間の印象は変わる。
ステレオ録音の経験則として、間隔をあけたマイク配置は、一致配置に比べて開放感のある広がりのある音になると言われてきました。
この知見を、単なるステレオ収録ではなく、空間情報を丸ごと記録する手法に応用したらどうなるか?
そのために使われたのが、空間部屋インパルス応答(SRIR)という考え方です。
SRIRとは、部屋の響きを時間方向だけでなく、音の到来方向も含めて記録したインパルス応答で、これを無響室で録った楽器音に畳み込むと、あたかもそのホールで演奏しているかのような音を作れるわけです。
この畳み込み残響の素材としてSRIRを使う手法が、音楽制作やインタラクティブオーディオの分野で広がりつつあります。
SRIRを収録する手段として研究チームが選んだのが、高次アンビソニックス(HOA)。
アンビソニックスは球面調和関数を使って三次元の音場を記録・再生する方式で、その次数が高いほど空間解像度が上がります。
この研究では三次のHOAが使われ、1本のHOAマイクアレイで録れば、それだけで全周囲の空間情報が得られるのです。
では、それを2本にしたらどうか?
研究チームが試したのは、合成SRIR(Composite SRIR)という発想です。
左右に離して置いた2本のHOAアレイで別々にSRIRを収録し、それぞれの信号から自分側の半球だけを残して反対側を消す。
その半球信号どうしを足し合わせて、1本のHOA信号として再構成する。
間隔をあけたステレオマイクの空間的な広がりを、HOAの枠組みのなかで再現しようという狙い。
先行研究では、この手法を生演奏の収録に使うと雰囲気の知覚が向上することが報告されていました。
今回の研究は、同じ手法をSRIRの収録に適用したらどうなるかを確かめたものになります。
2本のアレイで捉えた響きを、どう比較したのか
実験の舞台はコンサートホール「Pollack Hall」である。
収録にはZylia ZM-1(三次アンビソニックマイクアレイ)を用い、まず基準となる1本だけの位置でSRIRを収録。
つづいて、左右に間隔をあけたA/B配置を試しました。
間隔は17 cm、34 cm、68 cmである。
これらの距離は、ステレオ録音でよく使われるマイク間隔から選ばれました。
部屋の励起には無指向性スピーカーを使い、指数正弦掃引信号を音圧レベル95 dB SPL C-weightedで再生。
掃引時間は90秒です。
得られた応答を三次のB-formatに変換したのち、各A/Bペアについて直接音のピークを時間軸上で揃え、さらに、直接音成分にあたる冒頭の5 msを、すべてのSRIRから除去。
これは、2つのアレイの直接音が重なって音像が二重になるのを防ぐための処置です。
つぎに空間フィルタリングを施します。
空間フィルタリングとは、アンビソニック信号のなかから特定の方向の成分だけを取り出したり、逆に消したりする処理になります。
ここでは、左アレイの右半球を消し、右アレイの左半球を消す。
左右それぞれ自分側の半球信号だけを残し、それらを足し合わせて合成SRIRを作ります。
この半球ミュート方式は、先行研究から採用されたもので、左右アレイ間の信号の無相関化を最大化します。
物理的な遮へい板を使うJecklin Disk方式に近い発想であるわけです。
こうして作られた合成SRIRを、無響室収録されたコントラバス、アコースティックギター、ソプラノサクソフォーンの音源に畳み込む。
楽器構成はソロ、デュオ、トリオの各編成で、直接音は残響音に対して-30 dBのレベルでミックス。
試聴はラウドスピーカーとヘッドホンの両方で実施され、ラウドスピーカーは7.0.4チャンネル、ヘッドホンは三次バイノーラルデコードによる再生です。
バイノーラルデコードにはNeumann KU 100ダミーヘッドの頭部伝達関数が使われ、頭部追跡は行われなかった。
バイノーラルデコードとは、アンビソニックのB-format信号を、頭部伝達関数を用いてヘッドホン用の二チャンネル信号に変換する処理を指します。
評価者は音響録音プログラムに所属する22名で、基準となる1本アレイのSRIRを隠し参照として、知覚属性を両極尺度で評定。
評定の安定しなかった参加者を除き、最終的に16名のデータが解析されました。
評価された属性は次のとおりです。
環境・部屋の幅の印象(EWI)、背景空間印象の明瞭さ(BSI)、初期空間印象の明瞭さ(ESI)、身体的臨場感(PP)、総合聴感(OLE)。
背景空間印象とは、拡散反射音から生じる空間印象で、音に包まれる感覚と結びつく。
初期空間印象は、初期反射から生じ、主に前方から感じられ、包み込まれる感覚にはつながらない。
間隔を広げると、何がどう変わったのか
実験の結果を、評価属性ごとに整理していきましょう。
数値を見ると、有意差が認められたのは初期空間印象と背景空間印象に限られ、しかもその効果はヘッドホン再生で、かつ最も広い68 cm間隔に集中しているのがわかります。
身体的臨場感と総合聴感については、アレイの間隔を変えても統計的に意味のある差は出ませんでした。
環境幅については、再生方式そのもの(スピーカーかヘッドホンか)による差は有意だったが、アレイ間隔を変えたことによる差は認められませんでした。
さらに、参加者は全体的に、アレイ間隔の違いを聞き分けることに苦労していたことが報告されており、言い換えれば、2本のアレイで収録した合成SRIRと、1本のアレイで収録した通常のSRIRのあいだに、聴感上の明確な違いを見出すのは難しかったわけです。
この結果はどこまで一般化できるのか
著者らは、この研究の限界を率直に挙げています。
第一に、使用された演奏空間はPollack Hallただ一つである。
ホールの規模や音響特性が異なれば、合成SRIRの効果も変わりうる。
第二に、バイノーラル合成が三次までに制限されていた。
より高次のデコードが可能であれば、アレイ間隔の違いがより明確に知覚された可能性がある。
第三に、参加者全員が同じ音響録音プログラムに所属しており、機関的なバイアスが嗜好的評価に影響した可能性がある。
著者らは、多様な一般聴取者を対象とした追加の研究が必要だと述べている。
また、これらの限界とは別に、この研究の条件から自然に読み取れる適用範囲もあり、測定はコンサートホール一室で行われ、励起には無指向性スピーカーからの掃引信号が使われた。
収録には特定の三次アンビソニックアレイ(Zylia ZM-1)が用いられ、空間フィルタリングの手法も半球ミュート方式に限定されています。
評価は音響の専門知識を持つ聴取者によるもので、楽器音も限られていました。
これらの条件下で得られた結果であることは、念頭に置く必要があります。
研究チームはこのほかにも、検討が及ばなかった点を挙げていて、録音された実際の残響とSRIR畳み込みによる人工残響との比較、左右信号間の相関指標の評価、半球ミュート以外の空間フィルタリング手法の検討、そしてSRIRの整形加工が空間印象や音源定位に与える影響であるということ。
この研究をどう受け止めるか
間隔をあけたマイク配置が空間印象を豊かにするという経験則は、2本のHOAアレイによる合成SRIRという手法にそのまま移植できるわけではありません。
この研究は、そのことを聴感実験のデータで示しています。
効果が認められたのは、初期空間印象という限られた属性において、かつヘッドホン再生でアレイ間隔を68 cmまで広げたときに限られていました。
これがこの研究の控えめな、しかし明確な結論であるといえます。
一方で、この研究は合成SRIRという発想そのものを否定するものではありません。
空間フィルタリングによる半球処理という方法論は、実験の枠組みとして成立しており、今後のバリエーションを試すための土台が示されています。
とくに、本実験では試されなかった別の空間フィルタリング手法や、より高次のアンビソニックス処理、異なる音響空間での検証が、次の課題として浮かび上がっています。
この論文は、SRIR収録の選択肢を拡げようとする研究の、一里塚として位置づけられるといえます。
参考資料
Jack Kelly, Florian Grond, Wieslaw Woszczyk, Richard King, "A Perceptual Evaluation of Spatial Room Impulse Responses Captured Using Spaced Higher-Order Ambisonic Microphone Arrays," AES Convention 153, Express Paper 1, 2022.
原典の主張は、A Perceptual Evaluation of Spatial Room Impulse Responses Captured Using Spaced Higher-Order Ambisonic Microphone Arrays をご参照ください。

