目次
宇宙服を着て話すとき、声はどうやって相手に届くのでしょう。
密閉されたヘルメットの中では、ファンやポンプの音、歩行の衝撃が声に重なります。
マイクの種類と付け位置ひとつで、その聞こえは大きく変わるはずです。
Begault と Hieronymus(2007年)は、NASA の試作宇宙服 Mark III を加圧した実測から、頭部に装着したノイズキャンセル型マイクが、ヘルメットの縁に付けたエレクトレットマイクより最大約5 dB高い信号対雑音比を保つことを示しました。
宇宙服の中では、何が声を邪魔していたのか
月や火星での活動を想定した新しい宇宙服には、音声通信で十分な信号対雑音比が求められます。
信号対雑音比(SNR)とは、欲しい音声と背景雑音のレベルの差のことです。
dB rms と dB peak の二通りで表され、この値が大きいほど声が雑音に埋もれずに届きます。
また、人の聞こえの感度に合わせて周波数ごとに重みを付ける補正を A特性と呼び、この研究では騒音レベルを dB(A) で報告しています。
宇宙服のヘルメットは密閉された狭い空間なので、音が内側で何度も反射します。
ファン、ポンプ、ベアリング、歩行に伴う音が話し声を覆い隠します。
マイクの置き方や、スーツそのものを伝わる機械的な振動が、言葉の聞き取りやすさや音声認識を損なう恐れがあります。
マイクの信号対雑音比が通話の聞き取りやすさにどこまで効くのかは、マイクのSNRと音響過負荷点は、通話の聞き取りやすさにどこまで効くのか、その研究を読むでも扱っています。
そこで問われるのが、どの種類のマイクをどこに付けるかです。
比較されたのは二系統のマイクです。
ノイズキャンセル型マイクとは、頭部に装着し、スーツの中の空気伝搬音と機械的な雑音の両方を抑えるよう設計されたマイクのことです。
ここでは Andrea ANC-700 を、Snoopy cap と呼ぶ頭部装着のキャップ(イヤホンとマイクを固定し、スーツから伝わる雑音を遮る役割も担う)に載せました。
エレクトレットマイクとは、無指向性のコンデンサーマイクの一種のことです。
ここでは YOGA EM 060 を、ヘルメットの縁に泡ゴムを介して取り付けました。
マイクの型と指向性が何で決まるかは、マイクは型と指向性でどう選ぶのか、その設計トレードオフの研究を読むで解説しています。
宇宙服の内側を、どうやって測ったのか
Begault と Hieronymus(2007年)が舞台にしたのは、NASA の高度な試作宇宙服 Mark III です。
被験者がスーツを着て、4.3 PSI(圧力の単位)に加圧した状態で計測しました。
頭部に装着するノイズキャンセル型(Andrea ANC-700)は Snoopy cap に載せました。
ヘルメットの縁(リング)には、エレクトレットマイク(YOGA EM 060)を 7時・9時・10時の位置に、泡ゴムを介して取り付けました。
基準となる校正済みマイクも用意し、Bruel & Kjaer 4155 と、耳の中に入れる基準マイクの Bruel & Kjaer 4101(バイノーラルマイク)を比較の物差しとしました。
測定は二本立てです。
ひとつはスーツ自体の音響特性で、ヘルメット内蔵のラウドスピーカの周波数応答と、スーツのインパルス応答を調べました。
インパルス応答とは、空間に試験信号を入れたときに返ってくる時間応答のことで、周波数特性や減衰の様子を導く元になります。
測定にはサインスイープ(周波数を連続的に変えながら流す正弦波の試験信号)を使い、複数回のスイープを同期して加算することで信号対雑音比を高めました。
吸音フォームを入れる前と後を比べるため、フォームの有無を変えた測定も行っています。
もうひとつは音声の収録です。
被験者に、着脱台に乗った状態、立位、歩行、歩行しながら腕を動かす、ローバー座席に座った状態という条件で話してもらいました。
それぞれで信号対雑音比を計算し、足の着地、スーツの継ぎ目、空気供給から来る雑音を調べました。
この方法を選んだのは、各マイクを個別に、かつ基準マイクと比べて評価するためです。
音質、雑音への強さ、信号対雑音比を測り、ビームフォーミングマイクアレイ(話者の口元に仮想のマイクを作り、最も強い信号へ向きを合わせて口の動きを追う仕組み)やノイズキャンセル用の信号処理アルゴリズムに役立つデータを集める狙いでした。
加圧した宇宙服で、何が測れたのか
まず、スーツの中はかなり騒がしいことが分かりました。
スーツ内の平均 A特性背景雑音は約 70 dB(A) です。
これは、普段なら声を張り上げて話すレベルの騒音に相当します。
次に、スーツの筐体とヘルメットが音に与える影響です。
ラウドスピーカの周波数応答には、500 Hz から 3 kHz にかけての切れ込みが現れました。
被験者が中にいると、この切れ込みはより深くなります。
後部のハッチに厚さ 2 インチの高密度な吸音フォームを加えると、初期反射が減り、インパルス応答の減衰が改善しました。
マイクの比較では、位置と装着方法の差がはっきり出ました。
エレクトレットマイクの音色は位置によって変わり、7時の位置から10時の位置へ移るほど、こもった印象になります。
どの位置のエレクトレットも、Snoopy cap に載せたノイズキャンセル型よりはやや劣っていました。
足音や機械的な雑音は、泡ゴムに載ったエレクトレットには構造振動を通じて強く乗ります。
一方、頭部に装着した Snoopy cap は衝撃を吸収する役割を果たし、この種の雑音をずっと少なく拾いました。
信号対雑音比で見ると、最も良い Snoopy cap と、最も悪い 9時位置のエレクトレットとの差は約 5 dB でした。
測定条件ごとの最悪時の信号対雑音比をまとめます。
足音による衝撃は短い間隔で繰り返し現れ、エレクトレットマイクの信号では話声と同じかそれ以上に大きいことがありました。
発話中に足音が重なると、聞き取りやすさや音声認識が一時的に損なわれる可能性があります。
この結果は、どこまで当てはまるのか
この研究には、著者自身が明記する限界があります。
ひとつは、追加のマイク位置や種類も評価されたものの、この論文には報告されていない点です。
また、エレクトレットマイクは頭のフィットがきついことと、上部の空気取り入れ口があるため、12時と6時(上と下)の位置に置けませんでした。
使えたのは下半分の位置だけです。
さらに地球上ではスーツとバックパックが重いため、被験者の疲労によってスーツ内で過ごせる時間が実際には限られます。
ヘルメットリングのマイクを柔らかいマウントで取り付けて雑音を減らす方法は試されておらず、将来の課題とされています。
ビームフォーミングマイクアレイの試作も、この研究では作られず、試されてもいません。
これらは将来の研究として予定されています。
この研究を、どう受け止めればよいのか
この研究は、加圧された宇宙服の内側という、ごく限られた人しか触れられない環境を、実測で記録したものです。
マイクの置き方と装着方法が、信号対雑音比をこれほど大きく左右することを、数値で示しました。
とくに、足音や機械的な振動が泡ゴムに載ったマイクへ構造を通じて伝わり、頭部に載せたマイクがそれを和らげる、という対比は明快です。
閉じた空間で体を動かしながら声を拾うとき、装着方法がマイクの種類と同じかそれ以上に結果を左右しうることを、一つの具体例として示しています。
この研究の価値は、加圧して歩くという再現の難しい条件を、信号対雑音比という具体的な数値に結び付けた点にあります。
同時に、試していないこと(柔らかいマウント、ビームフォーミングマイクアレイの試作)をはっきり名指ししている点も見逃せません。
問題を解決したと主張するのではなく、問題がどこにあるのかを測った、という姿勢が、後続の研究の土台として使える数値を残しています。
参考資料
原典の主張は、Acoustical Issues and Proposed Improvements for NASA Spacesuits をご参照ください。



