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マルチチャンネル再生は、2チャンネルステレオより(通常は)広がりを得られるはずです。
ところが実際には、中央の席から少し動いただけで定位が崩れたり、音色が変わったりすることがあります。
増やしたチャンネルがかえって聴きやすい範囲を狭めてしまうことも多々あります。
なぜそうなるのか?
そしてどう設計すれば直接音の定位と残響の広がりを両立できるのか。
その問いに取り組んだ研究がありますのでご紹介していきます。
マルチチャンネル再生はなぜスイートスポットを狭めるのか
5チャンネル再生では、同じ信号が複数のスピーカーから到達することで、スピーカー間の距離差に応じた干渉が生じます。
この干渉によって周波数特性に周期的な山谷ができる現象を、コムフィルタ効果と呼びます。
2チャンネルステレオよりもチャンネル数が多いぶん、コムフィルタの生じる組み合わせが増え、結果として良好な定位が得られる範囲、すなわちスイートスポットが狭まることがあります。
一方で、直接音の定位にはチャンネル間の高いコヒーレンスが欠かせません。
コヒーレンスとは、二つの信号の間にどれだけ線形な関係があるかを周波数ごとに表す尺度で、無相関から完全相関までの値をとります。
ファントムイメージとは、二つ以上のスピーカーから出る信号によってスピーカーの間に仮想的に知覚される音像です。
この定位を得るには、左右のチャンネルから届く信号が高いコヒーレンスを持つ必要があります。
この原理はワンポイント録音とは?
1組のマイクだけで全体を収める方法と原理でも触れられています。
ところが残響については、これが逆になります。
残響の信号がチャンネル間で高いコヒーレンスを持つと、コムフィルタ効果によって音色に濁りが生じ、空間の広がり感や包まれ感が損なわれます。
残響には低いコヒーレンスが求められるのです。
つまり、直接音の定位には高いコヒーレンス、残響には低いコヒーレンスという、一つのマイクアレイに相反する要求が突きつけられていることになります。
この問題に対して、従来は明確な設計指針が示されていませんでした。
定位と拡散を一つのアレイでどう両立させるのか
Martin(2005)は、まず再生系の振る舞いを物理的に解析し、その上でマイクアレイの設計条件を導くという手順を取りました。
聴取実験ではなく計算モデルを選んだのは、チャンネル間の関係が知覚に与える影響を、信号の物理的な性質から理解するためです。
分析は大きく三つに分かれます。
第一に、正面のファントムイメージ定位です。
KEMARダミーヘッドの頭部伝達関数(HRTF)データベースを用いて、ITU 5チャンネルスピーカー配置における両耳間強度差(IAID)を計算しました。
IAIDとは、聴取者の左右の耳に到達する音圧レベルの差であり、音像が左右どちらに定位するかを決める主要な手がかりです。
ここで、左右チャンネルに無指向性、カーディオイド、双指向性という三種類の指向特性を持つマイクを一致配置した場合を想定し、音源の角度とセンタースピーカーのゲインを変えながらIAIDを計算しています。
チャンネル間振幅差(ICAD)は、二つのスピーカー間にファントムイメージを定位させるために用いるレベル差です。
ICADによってIAIDがどう変わるかを調べることで、どれだけ明瞭な定位が得られるかを評価したのです。
マルチチャンネルの定位設計については、3Dアンビエンス録音にはどのマイクアレイが適しているのか、その研究を読むでも別の観点から検討されています。
第二に、背面の定位です。
サラウンドスピーカー間のICADがファントムイメージの定位に与える影響を調べ、どれだけのレベル差で音像が中央背面からスピーカー位置まで移動するかを計算しました。
第三に、側面の定位です。
正面と背後のスピーカー間でファントムイメージを作る場合、チャンネル間時間差(ICTD)が大きすぎると、一つの音像としてまとまらず、前後のスピーカーに分裂して知覚されることが知られています。
この分裂を避けるためのICTDの上限を導きました。
残響については別の観点から分析しています。
先行研究のレビューにより、拡散音場の空間印象を再現するには少なくとも4つの無相関な信号(L, R, LS, RS)が必要であることを確認しました。
拡散音場とは、音があらゆる方向から等しい確率とランダムな位相で到来する理想的な残響のモデルです。
さらに、拡散音場における無指向性マイク間の相関係数は、周波数とマイク間距離の既知の関数で表されるため、マイク間隔によって残響のコヒーレンスを制御できることが示されています。
センターのレベルとマイク間隔にどんな最適値があるのか
分析の結果、正面のファントムイメージについては、左右に双指向性マイクを使う場合、センターに前方を向けた双指向性マイクを加え、そのゲインを-9 dBに設定すると、IAIDの最大値が1.5 dB増加し、ファントムイメージがより広がることがわかりました。
注目すべきは、センターゲインとIAIDの関係が単調ではないことです。
IAIDを最大化する最適なセンターレベルが存在し、その値は左右チャンネルのマイクの指向特性と信号に依存します。
たとえばセンタースピーカーと右スピーカーだけの状況では、センターゲインを-12 dB(右に対し)に設定することでIAIDが約1 dB増加することが示されました。
低いレベルのセンター信号が、かえって定位の幅を広げるのです。
背面については、サラウンドスピーカー間でわずか8 dBのICADがあれば、ファントムイメージが中央背面からスピーカー位置まで移動することがわかりました。
背面定位は小さなレベル差にきわめて敏感であるといえます。
側面の定位では、前後のスピーカー間で音像分裂を避けるためのICTDの上限が約2 msと導かれました。
これはマイク間隔に換算すると約70 cmに相当し、正面マイクと背面マイクの距離はこの値以下に抑える必要があります。
残響については、拡散音場における無指向性マイク間の相関係数が周波数と距離の関数として既知であることから、マイク間隔を適切に選ぶことで、残響のチャンネル間コヒーレンスを十分に低く抑えられると結論づけられています。
計算モデルが描ける範囲と、描けない範囲はどこか
Martin自身が本研究の限界として挙げているのは、次の三点です。
第一に、この分析ではマイクを一致配置と仮定し、指向特性も周波数に依存しない理想的なものとして扱っています。
実際のマイクではチャンネル間時間差が生じ、指向特性も周波数によって変化するため、分析結果から外れうることを著者自身が認めています。
第二に、強度差のみに基づく分析であり、信号の極性の違いが定位に与える影響は考慮されていません。
極性の反転は定位感に影響しうることが知られていますが、本分析のIAID計算には反映されていません。
第三に、この研究はKEMARダミーヘッドのHRTFデータベースを用いた計算モデルに依拠しており、自由音場を前提としています。
実際の聴取者を用いた知覚実験による検証は行われていません。
また著者は、聴取者の真横(LとLSの間、およびRとRSの間)のファントムイメージについては、そもそも実現が難しいことが知られているとして、分析の対象から外しています。
マルチチャンネル録音の設計に何をもたらしたか
この研究の価値は、直接音の定位と残響の拡散という二つの要求を、一つのマイクアレイに対して両方とも数値的な設計条件として整理した点にあります。
とくに、センタースピーカーのゲインを下げることで正面の定位がむしろ改善されるという、直感に反する結果をIAIDの計算から示したことは、5チャンネル収録の実践において参照され続けている知見です。
一方で、この研究が提案するのはあくまで物理的な解析に基づく設計の枠組みであり、特定のマイク製品や絶対的な配置を推奨するものではありません。
指向特性やマイク間隔について具体的な数値が示されているのは、制約条件としてです。
実際の収録では、会場の音響特性や演奏の編成に応じて、これらの条件を満たしつつも調整が必要になるでしょう。
参考資料
Geoff Martin, "A New Microphone Technique for Five-Channel Recording," AES Convention 118, Paper 6427, 2005.
原典の主張は、A New Microphone Technique for Five-Channel Recording をご参照ください。
機種を横断して選びたいときは、マイクおすすめ13選 作る側が用途別に選ぶにまとめています。

